インドのトイレ事情って。

インドのトイレ事情って。

「トイレが困るのよ。。。」と友人が言います。

「私ね、此の世の春ですかっ!ってほどインドじゃモテるけど、トイレがねぇ。。。」

友人はご主人と大変良好ですから、ふざけて「此の世の春」と言っているのですが、「何がウケているのか解らないのだけど、とにかくインドじゃモテ過ぎよ。そりゃダンナも驚くほど。」と、まんざらでもない様子。

ご主人の仕事の関係で海外はよく行かれるのです。

友人はご主人のサポートで、必ず同行せねばならない状況。

その中でインドは彼女のお気に入りです。

「でもね、トイレ。。。トイレの問題があるのよ。」

彼女らが用意されるホテルはインドでは一流ドコロなのですが、一歩外に出ると途端にトイレ事情に閉口するのだそうです。

「水分補給を控えて」という姿勢で観光や散歩に挑むしかないのだということ。

インドのトイレ普及率は、携帯電話の普及率より低いのだそうですね。

それって携帯は「一人頭」で計算し、トイレは「一世帯」で算出してるのでしょうか?

そこが気にはなりますが、まぁ、ほぼ100%に近いであろう日本から見ると、うん、これは住めないぞと。

ネットで読むと住んでいる人々もそれは辛いことのようで、トイレが出来て喜んでいる人の話に「これで尊顔が守られて」というものがありましたから、「トイレに対する意識が低い」というものではないのでしょう。

トイレを完備したい!と実際思っているのです。

6年ほど前に韓国に仕事で行った折、ソウルの町の発展には眼を見張るものがありました。

20年ほど前も仕事で韓国は行ったのですが、その時に比べ実に明るく、文化的になっていました。

現地の人間に食事に連れて行かれ、裏通りのプルコギ屋に寄りました。

トイレが店内にありませんでしたから、隣のビルを使えと教えられ行ってみると、そりゃもうタマゲました。

トイレの汚さも閉口しましたが、なによりもトイレットペーパーがない!

雑誌が何冊かポンと置かれ、その紙が引きちぎられていましたので、「これを使え」ということなのでしょう。

「こりゃタマラン!」と1キロほどあるホテルまで走って帰り、用を済ませ店に戻りました。

きらびやかな通りから、ほんの50メートルほど入った路地での出来事です。

急激な発展について行けず後回しにされるのはトイレ事情か。。。とその時は思いました。

滞在中にそういう場面に出くわすことは、何度かありました。

いまはもうかなり違うのでしょうが、行っていないのでわかりません。

インドにおいて40年も貧困層のトイレ問題に取り組んでいる「スラブインターナショナル」。

低コストで環境にも優しい「スラブトイレ」というものの普及に取り組まれているようです。

一つの便器に二つの貯水槽。

使用中の貯水槽がイッパイになるともう一方に切替え、その間にイッパイの貯水槽では排泄物が堆肥となるという構造で、これは画期的ですねぇ。

微生物を投入すれば更に効果は増すでしょう。

場所によっては日本もそれが欲しいという人がいそうです。

15ドル程度で設置可能だそうです。

その15ドルのインドに於いての重さが、私にはちょっと解らないのですが。

トイレ事情の改善というものは、本当の意味での進歩を実感させるものだと思います。

ペンギン

アメリカオハイオ州の動物園で撮影されたペンギンの赤ちゃんの動画が、以前大人気となりましたよね。

私も見ましたが、ものすごく可愛い。

くすぐられて、声を立ててはしゃぐ姿です。

まだまだ小さく短い手を振り回して、きゃっきゃと喜んでいます。

人間の赤ちゃんも動物の赤ちゃんも全く同じ。。。小さきものは愛らしいものですねぇ。

時期を同じくして、ブラジル南部リオグランデドスル州の海岸に約一ヶ月にわたり合計700羽以上の幼いペンギンの死骸が漂着したというニュースがありました。

今年の夏のニュースだったと思います。

7月頃というのは餌や温暖な気候を求めてアルゼンチンから渡ってくるものなのだそうですが、それにしても500羽を超える数の死骸の漂着は、例年に比べて多すぎるという話だったと思います。

2010年に500羽ほど死骸が漂流したことがあったのだそうですが、その時の死因の殆どは餓死だったということ。

自然と共に暮らしているとは言いがたい生活を私は送っていますから、環境の変化がもろに影響するということはありません。

「ちっ!野菜がお高いじゃないか!」とクサるぐらいのものです。

でも自然界に生きる動物たちって、その変化が生命の危機に直結しているんでしょう。

すこしでもプランクトンが減少していればお魚に影響が出て、それを捕食する子たちは飢えてしまう。

この700羽の死が自然淘汰の一環なのか、環境破壊によるものだと言っていいのか、私にはわかりません。

わかりませんが、「生きて行くって過酷だな」と感じました。

つよい子は、それでもアルゼンチンから到着したのでしょう。

私たちは環境の変化に自ら順応するのでなく、自分の住みやすい環境に変えるということをします。

寒ければ暖房を付けますし、暑ければクーラーを付けます。

これで死ななくって済むのですが、そのかわりどこかで私の代わりに誰かが死んでいる。

と、こう言うと言葉が過ぎるので、「誰かが困っています」と替えます、うん。

そのペンギンの「多すぎる死」も、タグってタグってとすれば私のせいかもしれません。

くすぐられてキャッキャとはしゃいでいる赤ちゃんペンギンの姿を見ると、「人間と何も変わらないのにな」と考え込んでしまいます。

子どもを亡くして悲しむ親っていうのはあまり動物の世界じゃ見られませんが、いちいち悲しんでいては生きて行けないので、感じさせないように最初からなっているのかもしれない。

それだけ赤ちゃんを亡くす可能性が高いですものね、日常茶飯事ですもん。

それにまた心が痛みます。

食べたり食べられたりって言うのは仕方ないことですから、私も何でもかんでも食べるのですが、そこに感謝はあります。

ただ快適な生活の向こう側の見えないところで、誰かが。。。人であれ動物であれ、命が犠牲になっているというのは辛いなと。

ほんと考えなきゃいかんよねとは思うのです。